8月3日のマキハラ先生への判決内容。
ある専門家(誰?●)は執行猶予は5年くらいが妥当、とも話していて。
さらに、そもそも執行猶予がつくのか?!というところも注目でしたが…
前回の記事でも書きましたが、
私のスタンスは全く変わりませんので、ひたすら待ち続けようと思います。
そして、今回の「槇原敬之のこの曲を聴いてくれ」は記念すべき(?)40曲目。
ついにここまで来たか、という感じで。
とりあえず目標の50曲まで近づいてきまして一人でほくそ笑んでおります。
半年で40曲ペースということは…190曲近くあるマキハラ先生の曲を紹介するのに…
あと2年近くかかってしまうのですね…
モチベーションがどこまで保てるのか!?という自分との戦いになりそうですね。
学会発表とか論文書かなきゃ、とかそういう類の目標は私の周囲ではよく聞かれるし、
年に数回ある部の長との面接時も、「今年は症例とかまとめたいですね」なんて、
偉そうなこと言ってるんですが、、、
実は心の中の第一目標は「マキハラ先生の全曲紹介!」というものです。
仕事も何も完全プライベートではありますが、、、
ワタクシの目下の目標はそこにあります(社会人としてはどうなの発言●)
まぁ、結局これまでの39曲達も集約すると
「天才」「神か」「勘弁してくれ」的な感じにまとめられそうな予感です●
私の語彙力の低さを露呈しているのです。。。
ちなみに、学生時代の苦手科目は英語と国語でございました、ワタクシたんぽぽ毛です。
どうやら「語学系」は苦手のようです、、、もっと真面目にやっときゃよかったさね。
暦の上ではもう秋で、そろっとお盆ですしね、本日より残暑見舞いとなるわけですね。
そんな日にピッタリな1曲です。
『Cicada』
作詞作曲編曲:槇原敬之
1999年7月7日発売の9枚目のアルバム「Cicada」より、ラストを飾るタイトル曲です。
日本語直訳も何も「蝉」です。
いやこれがね…、奥さん…、すごいんですよ…
このアルバム全体的に素晴らしい仕上がりとなっており、
私はこのアルバムの前作となる「Such a Lovely Place」をこよなく愛しているため、
そこまでではないのですが(語弊アリ●)、
この「Cicada」を最高傑作と称賛するマニアは非常に多いようです。
そしてこの曲何がスゴイって…
ここからは私のかなりの妄想劇場です。
このアルバムの発売が7月。
翌月の8月26日にマキハラ先生は逮捕されてしまうのです。涙
CD等の回収により、店頭からは「槇原敬之」は消えてしまいました。
翌年2000年11月に「太陽」というアルバムで見事復活するのですが…
私は、この「Cicada」のアルバム、、、というかタイトル曲の「Cicada」に関しては、
2000年の「太陽」を作成していた時に一緒に作って、
タイムスリップしたマキハラ先生が1999年のこの時期に発売したんじゃない?
↑↑↑
たんぽぽ毛さん、何言ってんの?
って思われそうですが、、、そして私も自分で「何言ってんの?私」って思います。
そうです、まるでドラえもんの世界ですが。
いや、それくらいこの「Cicada」という曲は、その当時の状況を言い得ているんですよね。
マニアの皆様、怖くないですか???
あまりにも…な曲すぎて。
タイムトラベラーじゃないですけど、、、その後の自分自身に起こる出来事等、
全て知り得た中で作られたんじゃない?としか思えないような歌詞なんですよね。
「たんぽぽ毛さんがダイジョウブデスカ?」と心配されそうなので、ここでやめますが。
Cicada=蝉
マキハラ先生お得意の比喩表現満載の1曲です。
このアルバムには「Hungry Spider」も収録されており、
蜘蛛とか蝉とかまた、普段あまり歌の世界では陽の目を見ないような生物達が登場しますね。
というか、そこに着目するマキハラ先生もマニアックというか、
どのような視点で日々を暮らしていたら、そこにたどり着けるのかは分かりませんけどもね。
2コーラス目はなく、1コーラス→サビ→最後のサビ という流れです。
まっくらな土の中 何年も過ごしながら
まだ見ぬ太陽の光を 蝉たちは信じてる
辛さから逃げることで 自分を騙しながら
生きることが幸せなら 僕らはいないはずだと
伝えたい事があるから 君の住む街にきたよ
忘れないでほしいから うるさく鳴いてみせるよ
打ち付ける夕立の拍手が鳴りやむころ
我先にと羽根をこすり 蝉たちはうたう
歌詞としては上記で構成されております。
「蝉」の習性を人間に例えるさまは、本当に素晴らしいとしか言えないのです。
マジで「何なの?この感性」って感じでイヤになるんではないでしょうか?(いい意味で)
蝉は土の中で、地上に出られるその日のために何年も過ごす。
「辛さ」から逃げ出してしまうことは、その生き方自体を否定することになるので、、、
そうなると「蝉」自体が存在しなくなるということ。
それを人間の生き方に例えてると思うんですが。
「土の中=下積み時代や新人時代」 とすると、
いくら辛いことや、理不尽なことでも、
ある程度我慢しながら耐えなければならない時期も必要で。
それがなければないでいいのかもしれないですけども…
より人間性に深みが出たり、色々な経験を積んでいくことで、
それが未来=「太陽の光」に繋がっていくのなら、、、
そこから逃げ出すとううことは、自分の未来さえも否定してるということに繋がる、ということですか?
その「未来」に希望を持ちながら今のこの辛い状況も頑張って生きる、と。
ちょっとーーーー!
深い!深すぎませんか?
私が勝手に穴を掘りすぎているわけではないと思いたい。
あ、あくまでもワタクシ個人の解釈なので、違うよ、という人もいるかもしれませんが。
割と、こういう系(どういう系よ?●)の歌詞の歌ってありますけどもね。
「辛くても諦めないで頑張れ」みたいな。
でも、やはりマキハラ先生の手にかかると…
何とも哲学的な感じになるのか。
これはもう、表現力 以外の何物でもないような気がしますよね。
いや、何回も書くけども「蝉」で例える?普通、、、例えないよねぇ?
ていうか、そこに繋がるところが本当に人間を超越しているような気がしてならぬ。
きっと、夏の蝉の声を聴きながら感じたことを歌にしているんですもんね。
私なんて「ミンミンうるさいわね」くらいにしか思わないかもですよ。
ただ、この曲を聴いてからは夏に対する私の感じ方も変わったのは事実です(遅くね?●)
そんでもって、サビ(?なのかな)の
「伝えたい事があるから~」に繋がるわけですが。
このサビ部分や、「まだ見ぬ太陽の光」とか、
2000年の槇原敬之降臨説の信憑性を上げるかのような歌詞なんですよね。
復活アルバムタイトル「太陽」、、、そこに繋がっている気もするし…
逮捕によって、ファンの前から姿を消すことになって、、、それで復活されるわけですが。
「伝えたいことがあるから、、、またみんなの前で歌います」
と言っているような気がして。
本当に、後からならいくらでも辻褄合わせのようにどうとでも言えますけどね。
活動自粛期間が、まるでこのCicadaの歌詞の「土の中」の情景をダブったりと。
当時は、そんなこと何とも思わなかったけど、、、
2000年以降に改めてこの曲を聴けば聴くほど、リンクして本当に鳥肌立ちます。
それともマキハラ先生予知していた???と聞きたくなるほど。
それほど追い込まれていたのかもしれないなぁ、とも思ったり。
1回目の逮捕の時にマキハラ先生は言い方違うかもしれないですが、
「逮捕されてよかった」的なことを話していたような記憶があります。。。
もう自分の力ではどうすることもできないような状況。
それでも、「シンガーソングライター」としての自分もそこにいて。
そしてその先には「自分の歌を聴いてくれるファン」「支えてくれるスタッフや家族」
という立場で、その中でもがき苦しんでいるようなそんな感覚だったんでしょうかね。
はい、完全に私個人の意見ですので、不快に思われる方いたら申し訳ないですが。
そのへんも含めて、
このアルバム全体として「最高傑作」と捉える方も多いような気がします。
歌詞に戻りますが。
夕立を、拍手に例えていますよね。
これ、、、天才じゃない?
土の中にる蝉の感覚で、夏の風物詩である夕立の音→拍手 に例えている。
マジで天才だと思う。
こんな表現できるの、世界中で槇原敬之だけでしょ?
「蝉たちが鳴く」ではなくて、「蝉たちはうたう」ってところも本当に素敵。
うっとりするわ、この世界観。
何なんだ!!だんだん怒りさえ湧いてきましたよ。
そして、間奏が入り最後にまた同様のサビ部分。
伝えたい事があるから 君の住む街にきたよ
忘れないでほしいから うるさく鳴いてみせるよ
打ち付ける夕立の拍手が鳴りやむころ
我先にと羽根をこする 蝉たちのように
僕はうたう
そうなんですよね、最後の最後に「僕はうたう」になるんですよね。
最後の最後にまた持ってかれたーーーー!!!!
何だこれ。
マキハラ先生まじ勘弁してください、って感じです。
また、というのは、、、
マキハラ先生、このように最後の最後で
ワタクシ達マニアの心をガシッと掴んでいくようなフレーズを多用しすぎるのです。
たった1フレーズなんですよ。
もうこれはある意味、
我々マニアの心を弄んでいるとしか言えぬ。(イイ意味です●)
これまでに紹介してきた曲達だと「NG」とか「彗星」とか「冬のコインランドリー」とか
あとはまだ紹介していないですが「運命の人」とか…
敢えてやり、それに踊らされているマニアを
ニコニコしながら見ているマキハラ先生の画しか浮かばない。
ということで、今回の「Cicada」も、その策略(?)に見事どハマりしたわけです。
えぇ、そうなんです私は常に踊らされているのです●
ここまで、ずっと蝉に例えて歌ってきて、最後の最後で「僕はうたう」って…
腰砕けでしょ、膝から崩れ落ちるでしょ…
もう参りました、勘弁してください。
それまでも蝉に例えつつの世界観であるけども、自身のことを蝉に例えているんだろう、
ということは聴き手には痛い程伝わってくるんですけどもね。
最後に「本音」というか、何というか…心の奥が少し漏れましたね、という感じがします。
本当にね、先日某「つぶやき」でも呟いたんですが。
今、この時期にこの歌を聴くことは大変危険でありますっ!!
周囲に人がいないことと、バスタオルくらいの布を用意しないと大変なことになりますね。
この時と同じような状況が起ころうとしていますし、実際起きているのか。
それでも「辛さから逃げる」ことはせずに、私は「太陽の光」を信じようと思います。
いつかまたマキハラ先生の「伝えたい事を」この耳で聴くまでは、私は生きようと思います。
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