綿帽子の手帖 ~別館~

頼む!頼むから槇原敬之のこの神曲たちを聴いてくれっ!!

#42 まだ見ぬ君へ

ひたすらダラダラとした日々を送っております。
こんなことではダメ人間になってしまう、と思いながらも自分を律せません●
 
そんなこんなで(どんなこんなだ?●)、
今のワタクシ自身の生きがいの一つとなっている「槇原敬之のこの曲を聴いてくれ」。。。
いや、こんなダラダラ人間に「聴いてくれ!!」と言われましてもねぇ…
と、言い返されたら、、、本当に申し訳ないです●としか言えないのですけどね。
 
本日は、
 
『まだ見ぬ君へ』
 作詞作曲編曲:槇原敬之
 
 
1996年10月25日に発売された、
通算7枚目のアルバム「UNDERWEAR」よりラストを飾る1曲です。
これまでも再三書いてきておりますが、この「UNDERWEAR」は全ての曲シングルカット!
イケるでしょう、本当に。爆
それくらいの名盤とマニアの間ではざわざわしております(きっと●)。
いやマジで1996年のマキハラ先生は本当に勢いすごかったです。
前年1995年はすこーしお休み期間でしたので、何か吹っ切れた感というか何というか。
 
そして「まだ見ぬ君へ」ですが。。。
この曲はタイトルそのまんまで、
「まだ見ぬ君=未来の恋人」に対する思いをひたすら歌っている1曲なのでございます。
こういう書き方だと、素敵な感じの印象ですけども。
 
マキハラ先生の「癖(へき)」全開の一曲です。
(この表現だと一気に怪しくなってきましたね●爆)
いやだってそうですよ、マキハラ先生の「妄想癖」大爆発ですよ。
あ、「いい意味で」ですよ、もちろんです。
 
この曲の登場人物の「僕」には、
おそらく今現在恋人はいなくて、そして好きな相手もいないようです。
そんな状況の中で、
「まだ会えてはいないけども、今後会うであろう
 「未来の君」のことをひたすら思いながら、日々を生活をしている」んです。
もう、こんなもん癖以外の何ものでもないでしょうに(いい意味で)
 
いや、ここまでで気分を害された方いたら大変申し訳ありません。
この曲はとても人気の高い1曲ですし、そして私も大好きなのです。。。
決して茶化しているわけではなく……ありのままの事実をごにょごにょ
 
ハッキリ言います。
この曲はいわば「マキハラ先生の妄想が繰り広げた名曲!!」なのです。
 
言い切ったら、スッキリしました。
いや、よく考えてください。
「あの子のことが好きー」とか「この思いをどうしようー」とか、
「失恋してしまった悲しいー」とか、、、そういうリアルな思い、とかではなく。
ただひたすら、「まだ見ぬ君」に対する、つまりまだその人が実在するかも分からないのに、
 
自分の想いを綴り、1曲に仕上げているのですよ?
 
 
マジで
マキハラ先生、、、無双状態じゃね?
※「無双」とは?:二つとない様子、並ぶものがないほど優れている様子、だそうです●
 
 
片思いの切なさとか、恋人同士のラブラブ感とか、失恋の切なさとか…
そのあたりの曲を書かせたら右に出るものはいないとは思いますが。
そのような状況ではなく、「妄想、、、」いや、主人公僕の「想像」だけで1曲作る。
 
 
え?天才なのかな?やっぱり…
 
ありそうで、なかなかないですよね?
曲の登場人物である「僕」の思考をひたすら表出する歌って…
そして、これが24年も前の曲だなんて、、、本当に信じられないクオリティなのです。
妄想癖のあるマキハラ先生(語弊アリ●)の頭の中を少し垣間見ることができる1曲です。
 
曲調はとてもとてもハートフルです。
前回紹介した「二つのハート」に曲調の部類が似ている感じはします。
この「まだ見ぬ君へ」の何年後かの歌が「二つのハート」に繋がっているといいなぁ、
などど、勝手にこちらも妄想が暴走してしまいます。。。
歌詞は、さきほどまでずっと書いてきましたが、「未来の恋人」に向けて。
自分の恋人が、自分と出会う前にこんなことを考えてくれていたら嬉しいなぁ、と、
ひたすらキュンキュンしていた当時高校生の私です。(それは聞いていない●)
何気ない日常の切り取りの技は、いつもながらのマキハラ先生お手の物って感じです。
 
1コーラス目
 
かあさんは余計な事して 見合い話持ちかける
自分が思うよりももっと 寂しそうに見えるらしい
今ごろ未来の恋人は どこで何をしてるやら
サボテンもコーヒーメーカーも 「まだかよ」って怒ってる
 
とりあえず
 
まだ見ぬ君を想って ラッシュにもまれたり
まだ見ぬ君を想って 部屋を掃除してみたり
 
自分のためだけに生きるには 時間はちょっと長くて
最近の僕はこんな風に 過ごしています
 
 
どうですか?
いや、、、どうですか?と言われてもって感じでしょうに●
自分の恋人は自分で見つけたい、そしてそんな人が現れることを信じている僕ですよね。
いつか出会う君との奇跡や、縁をとても心待ちにしている僕。
めちゃくちゃ可愛いくないですかね?
何なんでしょうね。
聴く人によっては「女々しい」とかそういう風に思う人もいるかもしれませんが。
人それぞれだとは思いますが、
 
全ての出会いに意味があること、ときっと信じているマキハラ先生の想いが伝わるようです。
 
「サボテン」や「コーヒーメーカー」が、怒ってるって…何ソレ、天才か。
あ、すみません、心の声が漏れました。
いや本当にさぁ、マキハラ先生その才能どうにかして欲しいです。怒
 
2コーラス目です。
 
古い友達とこの前 飲んでた時に言われた
「おまえの理想ってひょっとして高すぎるんじゃない?」って
「そうかもね」ってその場所は 笑ってごまかしたけど
君と出会うために生まれて 来たと言いたいだけ
 
ばかだけど
 
まだ見ぬ君を想って 歯をよく磨いたり
まだ見ぬ君を想って 犬をシャンプーしてみたり
 
一緒にいるのに寂しくなるような恋はもういいよ
愛のようなものじゃなくて 愛が僕は欲しいから
 
 
この2コーラス目のサビ部分、
「愛のようなものじゃなくて」ってフレーズは、すごく深い気がしていて…
 
愛のようなものじゃなくて愛が欲しい
 
ここから、大サビへ。
 
まだ見ぬ君よ 今僕は がんばって働いてる
まだ見ぬ君よ 今僕は がんばって遊んでいる
 
一緒にいるのに寂しくなるような恋はもういいよ
愛のようなものじゃなくて 愛をあげたいから
 
愛のようなものじゃなくて 愛をあげたいから
 
 
「愛のようなものじゃなくて愛をあげたい」
愛が欲しいし、僕も同じように愛をあげたい って…
素敵すぎる。
僕のこれまでの恋はあまり良いものではなかった、と推測されますが。
付き合って一緒にいても、二人の温度差などがある時って何となく分かりますよね。
自分も相手のことを好きな分、相手も自分のことを好きでいて欲しい。
その逆もあるか、相手の想いと同じ分、自分も相手を想い合いたい…
ただ、「付き合っている」というはたから見たら「恋人」に見えても、
それは「愛ではなくて”愛”のようなものだ」ということでしょうかね?
 
まぁ、ある意味「重い」感じもしますが、
お互いがお互いを同じ分だけ想っていればそれは決して「重さ」ではなく「幸せ」なんでしょうね。
 
何て素敵なんだーーー!!!
 
そして、この曲のもう一つのポイントです。
これは完全にワタクシの「癖(へき)」ですけどもね●
 
最後の大サビの
♪愛のようなものじゃなくて 愛をあげたいから~
1回目ではなくて、最後の最後の2回目の「愛のような」の「あい」の歌い方がすごく好き!!
(4分14秒あたりです)
 
もうたまらん!!ってくらい、好きな歌い方なんです。
これ共感してくださる方がいたら嬉しい!!
1回目より、2回目の方の「愛のような」の方がまろやかで、
 
本当に「まだ見ぬ未来の恋人」が目の前にいるかのように、、、
 
 
あまーーーーーーーい!
 
歌い方をするんですよね。
いつもこの部分聴く時はヨダレ出ます(汚くてすみませぬ●)
あ、すみません取り乱しました。
だって直接自分に向かって言ってくれているかのような錯覚さえも…
(それを人は「妄想癖」と言うのですよ●)
 
そんなところ(どんなところよ?●)も含めて、ぜひとも聴いて欲しい1曲でございます。
 
今回「癖」の連発でしたが、
基本的には、マキハラ先生の「優しさ」がたくさん詰まったハートフルな1曲なのです。
「未来の恋人」を歌ってはいますが、
根底にはマキハラ先生の「人間愛」のようなものが流れている気がします。
色々な物や日々の生活の中における大切なことを見落とさないような姿勢は本当に見習いたいものです。
 
そして、この曲が発売された当時、
「この ”まだ見ぬ君” を自分に当てはめて」ドキドキしていた全国のマニアの皆様。
分かります、私もそうでした。
 
マキハラマニアになると、妄想力、、、もとい、想像力が豊かになりますわねwww
 
 
 
音声配信はコチラです、、、
 
まだ見ぬ君へ

まだ見ぬ君へ

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