着々と記事が増えている「槇原敬之のこの曲を聴いてくれ」ですが、
本日で59曲目となりました。
ワタクシの愛して止まない槇原敬之氏がアレ●になってしまった今年の2月から始めました。
目標は全曲紹介!!と大きな目標を掲げておりましたが、、、
実際のところは「私のことだから難しいだろうなぁ●」と思いつつ、ここまできました。苦笑
とりあえず、マキハラ先生の復帰の日までは細々と続けたい所存です。
ところで、このブログはマキハラ先生以外の記事も書いていましたが、
ここ9カ月くらいはほぼ「マキハラ先生」関連となっていますね。まぁ、いーけども●
カテゴリ分類では「槇原敬之のこの曲を聴いてくれ」となっておりますが、
だんだん記事数が増えてきているため、タグ分類も地味にやっております。。。
アルバム名と、発売年数で少し分けておりますので、ご参考ください(誰に言ってる?●爆)
そんな本日の1曲は、
『FISH』
1990年10月25日に発売された
記念すべきマキハラ先生1stアルバム「君が笑うとき君の胸が痛まないように」に収録。
以前、デビュー曲「NG」の紹介の際には書きましたが、、、
このアルバム、マキハラ青年20歳前後での製作。
おそらく、高校~インディーズ時代に作ったものを再度アレンジして、という流れだと思いますが。
アルバム全体を通して、恐ろしいくらいの完成度なんです。
ただ、「槇原敬之」としてはまだまだこれから脂が乗る前の感じはあります、イイ意味で。
「槇原敬之」として成熟していない感じはあり、歌詞やメロディやアレンジの粗削り感はありますが。
それでもそれでも、その当時のマキハラ青年の「才能」たるや、目を見張るものがあるのです。
・・・。
え?私ですか?
何を偉そうに知ったかぶりで話しているんだ?…と?●
えぇ、全くその通りでやんす、否定はしません。爆
ワタクシはただ単なる、「槇原敬之を愛して止まない主婦 改め 主腐」ですので。
その立場は変わりませぬ●爆
話が逸れましたが、このデビューアルバムがいかにスゴイかを伝えたいところです。
そして、そのアルバムの中の1曲「FISH」。
アレンジは、マキハラ先生本人と、西平彰さんのコンビです。
西平さんも、この当時は30代前半、といったところですよね?うーん、、、スゴイ。
アレンジやメロディもさることながら、、、
やはりワタクシが伝えたいのは「歌詞」です。
いやこれ、本当に10代で書いたのか?!
と、思わず疑ってしまいたくなるほどの歌詞です。
それくらい、当時のマキハラ青年、才能に溢れておりどうしようもなかった、ということですね。
周囲の大人は困ったことでしょう、
「この青年スゴイな、見た目は普通のにーちゃんなのに…」と、
当時のマキハラ先生の周囲の大人達の声を代弁してみました(妄想●)
歌詞がスゴイとは今しがた書きましたけども、
私、この「FISH」イントロから好きなんですよねぇ。。。
ずん、ずん、、ずん、、、って来る感じ、、、分かります?
あー、どうやって表現すりゃいいんだーーー
ギターの弦を弾いている音なのかな~?楽器マキの方がいれば解説してもらいたいですが●
とにかく、開始17秒くらいがすごく好きなんですよねー
曲調はややポップですが、物悲しさがあります。
別れた後で短くしたの 君は前髪を少し手でといた
あなたよりもかまってくれるひとよ ふざけて唇とがらす
幸せになることを願って 選んだ別れなのに
穏やかに笑う君を 憎みそうになるのは何故?
他の誰かの腕のなかで 君は綺麗に泳いでる
カルキの水が苦しくて 僕は駄目になってく
意味もなく他人同士の顔で 行き交う人たちと僕らを
映し出してるウインドウはまるで 夕暮れの水族館(アクアリウム)
ここでまた二人が出会ったのは
思い出辿ったのではなく
本当に偶然だよね
今は彼だけ愛しているはず
他の誰かの腕の中は 光の届く浅い海
僕といるよりもっともっと 綺麗な色を見せるのか
他の誰かの腕のなかで 君は綺麗に泳いでる
カルキの水が苦しくて 僕は駄目になってく
一気に歌詞を引用しました●
歌の情景としては、「僕の未練タラタラの1曲」です。
別れた彼女に偶然街で遭遇した、、、というお話です。
先にも述べた通り、おそらく「僕」の方は未練がまだありそうな雰囲気です。
別れた彼女は、
ふざけながら冗談っぽく「アナタより構ってくれる人だよ」と言います。
ただ、僕にとってはそれを冗談ぽくふざけて返せない…
むしろ、そうなること(君が幸せになること)を願っての別れだったのに、
実際その通りになって、「よかったなぁ」と思えない、、、むしろ「憎みそうになる」と。
初期のマキハラ先生の曲にはこういう歌詞というか、
恋愛の時の割とドロドロした感情をダイレクトに表現することが多いような気がします。
何というか、根底にある「優しさ」とか「本当に伝えたいこと」というものではなくて、
その場面を切り取った、即時的な感情表現というのか…
伝わっているか分かりませんが、そのあたりが青臭さとなりまたいい雰囲気なんですけどもね。
1st/2ndアルバムには、割とそのような傾向の曲が多い気がするんですよねぇ。
「憎みそうになる」というのは、気持ちは分からないでもないです。
本当はこんな気持ちになるはずの別れではなかったはずなのに、、、裏腹に。
そういう時というのは総じて「自分自身が上手く行っていない」から、ということですよね。
僕がもし今、「とても幸せ」であったのならば「憎む」ことはないような気がします。
そこからのサビですね。
自分自身と君を、おそらく「魚」に例えているんですよね。
歌詞には「魚」という単語は出てこないですが、、、
サビにある「他の誰かの腕の中」では、「君は綺麗に泳いでいられる」
そして僕は「カルキの水が苦しくて」と、
おそらく広さを対比しているような気がします。。。
自分の腕の中は「カルキの水が苦しくなってしまうような狭い空間」、
でも僕じゃない他の誰かの腕の中は「悠々と穏やかに泳げるような広い空間」
この対比がさー、、、スゴイよね?
しかも、2コーラス目のサビでは、
「他の誰かの腕の中は光の届く浅い海」とあります。。。
海!相手の腕の中は広い海!!なんですよね。
自分の腕の中は、狭い水槽、ということ。
それを2コーラスAメロで、天才的に表現しているところが…
マジ 天才か!!
2コーラスAメロの表現とかヤバくないですか?
何か、神々しさとか感じる表現力。
夕暮れの黄昏た寂しい感じと、今の僕の気持ちも重ねつつ。
ウィンドウには自分とは関係ない人達が行き交っている能動的な動き。
そして僕は今もまだ尚、踏み出せずにとどまっている感じ。
それを的確に叙情的に、叙述的に表現していて、思わず唸ってしまうのですが…
水族館の水槽の中を無機質にゆらゆらと泳いでいる魚達に自分を例え、
君はそこから広い海へ。
しっかり光も届いていて、キレイに泳いでいる、という対比。
僕自身の哀愁等も。
夕暮れの少し物悲しい雰囲気と、閉館迫る水族館。。。
一瞬、「僕に会いに来てくれたのでは?」とよぎるけども、そんな気持ちはすぐに捨て去り。
自分自身で幸せにしてあげられなかったことを、悔やんでいるような…
でも今の僕ではどうすることもできない、というような気持ちも伝わってきて。
切ないんですけどね…
何か僕に対しての「救い」はないのだろうか?とも思うけども…
先ほども書いたように、初期の頃のマキハラ先生の曲達はこういうのが多いですよね。
デビュー曲「NG」とかもそんな雰囲気漂います。
これ、おそらく10代後半ですよ?マキハラ先生…
この才能の垂れ流し、何とかしてほしいです●(褒めています)
そして…そしてですよ?
忘れちゃいけない、この曲のタイトル、、、「FISH」
もうーーー何なんだ!!怒
何だ、このタイトルセンス!!
歌詞には一切「魚」「FISH」という語彙は登場しませんが。
この曲はもう「FISH」しかないでしょ!!って思う、というかそう思わせるマキハラ青年天才か!!
本日も「天才」を多用しすぎておりますがお許しください●
こういう表現を10代終わりからできちゃうって、、、
本当にすごいなぁ、と思います。
というか、年齢とかは関係ないんだろうとは思いますけどもね。
もう持って生まれたもの、というか。
しょーがない、そこは諦めるしかないのです。
槇原敬之生涯天才説、立証済でございます。笑