今年はこのまま我が新潟県には梅雨が来ないのでは?
と、思っておりましたが、、、
昨日無事に(?)に梅雨入り宣言したようです。
確かに、湿度が異様に高かった気がします
訓練室の机にプリントを置いておくと、5分もしないうちにふにゃふにゃになるくらい。
ということで、季節は着々と変化しているようです。
気付けば今年に入ってからは、このブログは専らマキハラ先生関連。
ワタクシの愛してやまない槇原敬之氏の世界を愛でて愛でて愛でまくる、、、という。
いや、いい加減しつこいです●
という声も聞こえてきそうな気もします。
どこかの呟きのSNSでも愚痴ってしまいましたが、
結局私のやっていることは、
「自分の好きな歌の歌詞を拝借してなぞっているだけ」
ともとれます(ていうか、そうなんだろうな)
天才 神 しんどい
↑↑↑
特にこの3語に関してはもはやテンプレートのように使いまくっております。
これではいつかボロが出る●
ということで、実はもうボロが出まくりだったりするんでしょうけども。
ちょっと本日は趣向を変えたいと思います。
これまでの90曲は、
ワタクシたんぽぽ毛が割と好んでよく聴く曲、が多かったと思います。
私も人間だもの(みつをだもの)、250曲近くあるマキハラ先生の歌達(たんぽぽ毛調べ●)、
全て好き!!というわけではないのです。。。
うわっ!この曲苦手!本当にダメ!!
という曲も実はあったりします。
ランダムで流れてくると、必ず飛ばす曲とか…(あぁ、マキハラ先生ごめんなさい。泣)
ワタクシもマニアの端くれ、とは言いながらも好き嫌いが結構ハッキリ分かれるタイプかと…
マキハラ先生の全曲紹介!とか大きい目標を立てているわけですが…
その中でもやはりいつか必ずぶつかる高めの壁。
「苦手な曲達をどうしようか…問題」です●
ということで、最後の方でどっと押し寄せてもモチベーションの維持が難しそうなので。
少しずつ小出しにしていこうと思います。
ただ!!こんな格言が…
自分のスルー曲は誰かの愛すべき1曲
素敵な格言(?)でございます。
その言葉の通り、
「私が苦手な曲でも、誰かにとってはなくてはならない神曲」なわけです、きっと!!
そして、ワタクシは槇原敬之氏を愛してやまないわけなので。
いつもの最大限の愛を込めながら曲紹介をしたいと思います^^
ということで、壮大な前振りを書いてきましたが、
本日の1曲は実はそんなに苦手、というわけではありません(どっちだよ●)
”どちらかと言えば、
そんなに好んで聴かないけどもランダムで流れてきたら聴きます”
という立ち位置です(何で私はこんなにも偉そうなのだろうか●爆)
『迷わない羊』
作詞作曲編曲:槇原敬之
2000年11月29日に発売された10枚目のアルバム「太陽」に収録。
このアルバムからは5曲目の選曲です。
これまで4回に渡り、同様のことを書いてきましたが、大事なことなので何度も書きます。爆
1999年8月にマキハラ先生、1度目のディープインパクト●があり、、、
その後無期限での活動停止となりました。
CDショップの店頭からは「槇原敬之」の文字が消え、CDは全て回収されましたよね。
そのあたりは、今回の2度目のディープインパクト●とは異なっておりますよね。
これはどういうことなんだろう?と思っていますが…
未だにネット等でも過去の作品が購入できますもんね、店頭はどうなのかな?確認していないけども。
時代が時代なだけに、この22年で色々なことが様変わりしましたから。
22年前は、まだSNSはそれほど普及はしておらず、
こうやって今自分がブログを書いて、全世界に発信しているなんて夢にも思いませんのでね。
そう考えると、割と「なんでもアリ」の世界にはなったなぁ、とは思います。
ただ、情報の統制が不十分なため嘘やデタラメが多いのも事実なんでしょうか。
無限に溢れる情報量の中で、どれを信じて自分がどう見極めるのか?
ということが大切な時代へと変わってきていますよね。。。
え?何コレ、、、社会科の授業?
いやいや違います「槇原敬之のこの曲を聴いてくれ」です。笑
そうです、話は戻りまして。
マキハラ先生は活動停止期間に入りましたが、
翌年2000年11月にこのアルバム「太陽」で復活致しました。
とは言っても、メディア等にはほぼ登場せず。
ひっそりとした復活、、、だったかと思います。
ただ、それを待ち望んでいたマニアにとっては、それはそれは
嬉しさと、緊張と、何だかやるせない気持ちと、まだ気持ちの整理がつかない感じと…
色々な感情が入り混じってのこの「太陽」発売だったかと思います。。。
「#24 彗星」の時にも書きましたが、、、
発売当日は緊張で再生ボタンを押すことができず、やっとこさ気持ちの整理をつけて再生。
「彗星」のあのイントロを聴いた時に溢れ出した涙は、何とも言えないものでした。
ちょっと待って、今日は「彗星」じゃないし。爆
(しかも過去に紹介済だし●)
語りだすと、1週間は軟禁できる自信がありますよ私は。笑
そうです、そのようなアルバム「太陽」なのです。
マニアにとっては、何だか特別な1枚のような気がしてならないです。
何ていうか別次元のようなアルバムと言ったらいいんでしょうかね?
まぁ、これも私個人的な意見なので、こんな風に感じるマニアもいるのね、くらいでお願いします。
…、ていうか今日曲紹介まで長いな(何とか誤魔化そうとしているのかもしれぬ●)
そんなアルバムの中の1曲です『迷わない羊』
前述しましたとおり、
「好んで聴くほどではないのですが、流れてきたら聴きます」という立ち位置。
いや、本当に嫌いとか苦手ではないんですよ。
ただ、この曲の歌詞が結構強いというか、辛辣というか…
以前も何かの曲の時にも書きましたが、「ダークマキハラ」降臨しております。
「ダーク」と書いてしまうと、やはり語弊があるような気もしますが。
人間、生きていると「キレイごと」だけではなく、
醜い部分や弱い部分など見えてくると思うのです。
それを見せないように取り繕うように日々過ごすわけだと思うのですが…
人間の本質的な部分というか、誤魔化しきれていない嫌な部分等、この歌はさらけ出していますよ。
タイトルの「迷わない羊」は、
おそらく「迷える子羊」という言葉が元になっているかと思われます。
後述しますが、歌詞の中にも「迷える子羊」が登場します。
「迷える子羊」
→どうすればいいのか迷っている人を意味する表現で「stray sheep」の訳語。
迷いの多い、弱い人間の例えでもあります。
※由来は「新約聖書」からだと思いますが、そこまで書いていると一日が終わってしまいそうなので
なのでタイトルの「迷わない羊」は、「迷いのない強い人間」を意味しているかと思います。
人間はみな、弱くて罪深い存在、という言葉の反対の意味も込められたタイトル。。。
若干ですが、タイトルからやや不穏な雰囲気を纏っているような気がするのです。
いつものように歌詞を引用致します。
少し涙ぐむような声は まるで迷える子羊のように
問題が山積みの僕に 電話してきて話してくれたね
「あなたのことを邪魔したり 傷つける人は絶対許さない」
その許せない人達と 平気で遊んでるくせに
子羊たちが迷う訳は 寂しいのはいやだと群れて
分け合うふりして奪いあい 下ばかり向いてるから
わざわざ信じてって 自分から言わなきゃ
人を裏切ることもないのに
わざわざ信じてなんて 自分から言わなくても
信じてもらえるのが本当でしょう
でも無理だね 君は嘘吐きだもの
ああぁぁぁぁぁ~
やはり、予感は的中ですよね。
言葉が鋭い。
これに尽きる。
「君がいないと紅茶のありかが分かんないよー」とかほのぼの(?)した感じは一切ないですね。
そして全くの隙も感じさせぬほどの言葉がズシズシと心に刺さります。
何だか、、、「マキハラ先生、わ、私のこと言ってます?」っていうほど、思い当たる節がある●泣
信じて欲しいから自分から「信じてください」って言うことほど情けないことはなくて。
でもそれで信じてもらって、また裏切ることも大いにありうる、だって君は嘘吐きだから
攻撃的ですよね。。。うん。
今日はあんまり歌詞については解説したくない、、、というかしんどいかもです。涙
それでも天才槇原敬之の歌詞運びに目が離せないのがさらにしんどい限りなのです。
2コーラスいきます。
その場を取り繕うだけで もっともな事を言うなら
解らなくて黙ってる方が 罪を作らないだけマシ
子羊たちは寂しさに 襲われる人の心に群れて
自分が言ってもらうと嬉しい 言葉を上手にかける
わざわざ信じてって 自分から言わなきゃ
人を裏切ることもないのに
わざわざ信じてなんて 自分から言わなくても
信じてもらえるのが格好良いでしょう
でも無理だね 君は嘘吐きだもの
ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~。
2コーラス目はさらに自分に刺さる。
このAメロ→Bメロ
こんなに鋭くて、とんがっている歌詞なのに、なぜか私はゾクゾクする。
マゾなのかな?うん。
ゾクゾクするっていうのは、この部分の歌詞がもうぐうの音も出ないほど言い得ていて。
まさに「正論!」って感じなので。
先にも書きましたが、「迷える子羊」という言葉を巧みに使いながら
人間の真の部分というか、本当に誰もが心に思い描いているようなずっしりとした重い何かを、
しっかりと言葉で表現しているところが、、、
やっぱ 天才だな
としか思えないのですよ。
本当にこの2コーラスAメロ→Bメロへの流れは、神の聖域だわ
自分にもそんな経験がありますよ。
その場を乗り切れればいいや、みたいなところ。
実はそんなに真剣には考えていなかったり、思ってもないようなことを言ったり。
そういう自分に時に辟易しますけど。
結局は自分自身の心が弱い、というか「ブレている」というか。
何か自分の中にしっかりとした柱みたいなものがあればいいんでしょうけどね。
私はズルイ人間なので、余計にそう感じますし、
この曲のこの部分の歌詞が本当にズッシリと心に刺さるのですよ。
そうやって他人にまで影響を与えてしまうのならば、
まだ黙って心を見せない方がいいのではないか?って思ってしまいますよね。
そうですね、これは私自身への戒めの曲でもあるのかな?と思っています。
意思を持って聴く、とやはりしんどくなってしまう。
そしてCメロ→大サビへ
僕らの目の前に現れる いくつもの分かれ道
みんなの選ぶ方が必ず 正しいとはもう思えない
心につくる逃げ場所が 嘘を隠すためならば
持たない方を選ぶよ 僕は迷わない羊になる
わざわざ信じてって 自分から言わなきゃ
人を裏切ることもないのに
わざわざ信じてなんて 自分から言わなくても
信じてもらえるのが格好良いでしょう
でも無理だね 君は嘘吐きだもの
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~、Cメロ 神!!
そうなんですよね、
周りがそうだから、こちらの方が大多数だから、、、ではない。
自分が思い選ぶ道を進め、と言われているようです。
え?マキハラ教祖なのかしら?
さきほど、私は「無宗教デス」と書きましたが、やはり「マキハラ教」入信しちゃってました!爆
心につくる逃げ場所が 嘘を隠すためならば
持たない方を選ぶよ 僕は迷わない羊になる
もうここ最高としか言えない。
曲全体を通して攻撃性が高く、鋭い歌詞なんですけども、
この言葉の紡ぎ方は、やはりマキハラ先生で、マキハラ先生にしか書けないんだよなぁ。
いやマジで、世界中どこ探してもこんな歌詞書けるのは彼だけでしょ?
「僕は迷わない羊」になる、、、は、
前述しました通り、「迷いなく自分の意志を進む強い人間になる」ということですよね?
そして…
注目すべきは、この歌の中の「君」の存在なんですよね。
実際の人物に対して、この曲を作っている可能性もあるのですが…
まぁでも時期的に、アルバムに込められた思い的に、
「#88 Ordinary Days」を書いた時と同じような考えなのです。
この歌に登場する「君」は過去の自分。
つまりは罪を犯してしまったマキハラ先生自身。
過去の自分からの決別、のような印象も受けるのです。
一瞬、自分の犯した罪に対して、
君のせいだ、誰かのせいだ、、、という風に受け取れたりもするわけなんです。
なので、しばらくは私はこの曲は苦手の部類に入っていたのですが…
ただ、よくよく考えてみても、、、
特にこのアルバム全体を通してみても、
その当時のマキハラ先生の思いが非常に強い1枚となっています。
活動停止期間中に感じた思いや、さらに人から言われたことされたこと。
私なんかが想像もできないくらいの、感情の変化や、
時には無心となったこともあったのではないだろうか?等とも思うのです。
そんな中で発売となったアルバムです。。。
その中の1曲なんです。
普通に聴いてしまうと、マキハラ先生に嘘を吐き続けていた人がいたのね、なんて思ってしまいますが。
やはりマキハラ先生の真骨頂は、比喩的な表現ができる巧みの天才ですので。
この曲自体を、自身のことを比喩的に表現した歌なのではないかな???
と、考えるようになってからは、
好んでは聴かないのですが、流れてきたらじっくりと聴くようになりました(しつこい●)
まぁ、とは言ってもまた勝手に私が思っているだけで、
マキハラ先生に言わせてみれば「本当にこんな奴がいたんだよ~」なんてことになるかもしれませぬ。
「な~に~!? やっちまったなぁ!!」(by.クールポコ)
って、だいぶ古いですけども(ふざけておりませんので許してください●)
というように、歌詞は終始鋭くて、やや攻撃的ではあるのですが、
これメロディが最高なんですよね。
マキハラ先生珍しやの、ジャズっぽい 感じなのです。
ワタクシは音楽のことはよくわかっちゃいないのですが、
この曲がジャズっぽい、ということは分かります、はい。
途中間奏部分なんてカッコいいですよ。
マキハラ先生がキーボードというかピアノを弾いているのだろうか…カッコいいー!!
歌詞は結構しんどいものがあるんですが、メロディは本当に最高級品!です。
それを聴くだけでも十分価値のある1曲ですし、
歌詞も、少し違った目線で見ることで、感じ方も変わる気がしますね。
いずれにしても、私的にはやはりまだ聴くと「しんどい」部類に入る曲。
でも改めて歌詞を読み解いてみると、この頃も今もやっぱり変わっていないのかなって思えたり。
2度目のディープインパクト●があったから全然説得力ないわ!って思うけど、
でも全部が全部そうは思わなかったり…
もう何だかよく分からない複雑な感情ではあるのですが、、、
やっぱり一つ言えることは マキハラ先生 やはり神だった ですね。