綿帽子の手帖 ~別館~

頼む!頼むから槇原敬之のこの神曲たちを聴いてくれっ!!

#162 Appreciation

4月最終日に何とか記事を更新できそうです。
というか、2023年がスタートし、
このブログかなり放置気味なんですが(●)「月記」化しております。爆
 
ただでさえ閲覧数少ないブログなのに、
さらに放置してしまうとは死活問題でございます。
というか、このブログを奇特にも読んでくださっているのはマキハラマニアくらいかと思います。
いつもありがとうございます、そしてこのブログあまりに放置しすぎて
 
「ついにあの気持ち悪いブログ終わったんかい」
 
って、方々で言われていたら面白いな●と思う今日この頃。
いつになるか分かりませんが、
もしこのブログを閉鎖する際はきちんとお知らせしますゆえ。
そのお知らせがない場合はまだ現在進行形のブログであると思っていてください。
 
 
ということで、
ワタクシの愛してやまない槇原敬之氏の神曲達を一曲ずつ解説しているという
非常に畏れ多いカテゴリ「槇原敬之のこの曲を聴いてくれ」でございます。
前回の更新からあっという間に1カ月が過ぎ去ってしまいました●
一応、年頭に掲げた目標は「目指せ200曲!」なもので…
 
こんなんでも細々と着実に更新していくしかないので頑張りたいと思います。
 
 
 
本日の1曲、、、
 
 
 
 
『Appreciation』
 作詞作曲編曲:槇原敬之
 
 
2011年7月27日に発売された通算18枚目のアルバム「Heart to Heart」に収録。
久しぶりの更新で、この曲持ってくるなんて、
ワタクシたんぽぽ毛の本気度伝わっておりますでしょうかね?(一体オマエは何様なのか●)
 
というのも、この「Appreciation」
槇原敬之氏の数ある名曲達の中で、TOP5 には必ずや入るであろう「攻め曲」なのです。
「攻め曲」というと、言い方に語弊を生んでしまうかもしれませんが。
ちなみに、よくよく考えるとこのアルバム「Heart to Heart」自体、、、結構クセが強い。
 
なので、そのような作品自体は
どうしても「好き/嫌い」がハッキリ分かれてしまうんだろうなぁ、って思えます。
 
 
正直なところ、私はこの「Appreciation」、
好きか嫌いか?と聞かれたら…
 
「曲はめっちゃ好きです!でも歌詞は…少し苦手な部類に入るかもしれません…」です。
 
小心者なので、文字フォントを小さくしてしまいました●(ズルい奴)
 
 
というか、この曲の歌詞の背景や発売された時期など、
それをこれから書いていこうかと思いますけども、、、その当時
 
賛否両論
 
あった曲、と記憶しております。
発売が2011年なので12年前ですので、今のようにまだSNSがそこまで台頭していなかった時代。
仮に今の2023年に新譜としてこの曲が発売されたらどうなっていたんだろうな?とも思います。
 
 
この曲の歌詞を額面通りに受け取ってしまうと、
そりゃ色々と賛否両論出るに違いないと思いますし、、、もしかしたら炎上レベルなのかもです。
 
ちなみに、ワタクシ本日はこの「Appreciation」の歌詞は、
必要最小限におさめようと思っております。
いつもならば全歌詞引用、とか書いていますけどもね…
(いやそれができるんなら最初からそうしろよ●って声が聞こえるような気がするな…爆)
 
 
その当時の世間の声としては
 
 
「槇原敬之が原発擁護の曲を作った!」
「東電社歌なのか?」
「反原発派 対 原発派の争いを激化させてしまう」
「原発に感謝しろなんて、被災者の前でも言えるのか???」
 
 
ナドナド。
これ書いてるだけで、ちょっと気持ちどよーんとしてしまいますが…
 
 
これらの声はあくまでこのアルバムが発売された当時の世間からの声であって、
決して槇原敬之氏本人の口から語られたことではないのですよね。
むしろこれらの風潮に関しては「全て誤解である」と語っておりますよね。
 
歌詞の中には確かに、
 
壊れた原子炉
汚染された僕らの心
 
など、かなり直接的な表現の言葉が紡がれています。
曲全体を通してもそのように捉えられても仕方ないような雰囲気ではあります。
 
 
 
ただ…
ちょっと待って!
と、ワタクシ声を大にして言いたいのでありますっ!!
 
 
 
 
 
「Appreciation」作ったのは槇原敬之ですよ?
昔むかーし、、、
神々が色々な才能を詰め込んでフルコンボしてつくり出した槇原敬之ですよ?
そんな単純な想いでこの曲を世に生み出したのではないことは明らかっ!!
 
 
 
 
これは、別に私自身が槇原敬之氏に対して心酔しているから…という理由ではなく。
これまで世に生み出した数々の神曲達を知っているからこそ、の想いなのです。
 
 
 
まぁ、でもいつも書いていましたが
「曲を聴いてどのように感じ取るかは聴いた人の自由」であり、
決して強制されるべきものではないと思うのですよね。
この曲を聴いて何を想い何を感じるかというのは本当に自由だと思います。
なので、これから私が語ることはあくまで私たんぽぽ毛の考えであって、
もちろん作者である槇原敬之さんの真意とは程遠いものかもしれませんし…
一個人の考えである、というのを前提に進めていきたいと思います(よし、たっぷり保険はかけた●爆)
 
 
 
 
まずはタイトルです。
 
【Appreciation】(名詞)
「感謝」や「評価」「理解」「真価(を認める)」等の意味を持つ英単語。
特に「感謝」という意味合いが強く、日常会話でよく使われる表現。
一方で、物事に対して「感謝する」ということは
その物事の重要性や役割について理解しその価値を認めることを意味するため、
「理解」や「評価」という意味でも使うことができる。


まずはタイトルです。
この単語、難しいですよね?
調べたら英検2級以上だそうな…(そりゃ私にはムズいはずだ●)
 
恐らく筆頭の意味としては「感謝」なんでしょうけども、
「物事の真意をよく見極める」という意味合いも大きいのだと思いますし、
この曲全体を通して伝えたいことはそこに繋がっていると考えられます。
 
 
マキハラ先生自身は、当時この曲のセルフライナーノーツにて、
 
「Appreciation とは感謝という意味があるのですが、
 「真の価値を知ること」という意味もある。
 自分たちが当たり前だと思って使っていたものに真の価値を感じた時に、
 こんなに僕たちの生活を助けてくれていたんだということに気付いて、
 今まで無視して悪かったと思うことがAppreciationなんだと思っています」
 
と、話されています(珍しく見返しましたよ●)
 
 
ちょっと大きな括りになってしまいますが、
「人間が感謝する」時ってどんな場面だろうか?と、ふと考えますよ。
 
自分自身のことを中心に考えると…
つまり「ありがたいなぁ…」ってどんな時に思うかですよね?
何というか、自分自身の状況や立場が
少し不利になった時などは、すごく感じやすいような気がするのですよ。
自分自身がすごく満たされていたり、置かれている状況にすごく満足している場合。
その閾値ってすごく高くなっているような気がするんですよね。
かといって、自分が満たされている場面で「感謝できない」状況だとは言っていません。
人それぞれですから…
いずれにしても、どちらの場面に置いてもやはりすごく重要なのは
 
「そのように感じることのできる心の余地」
 
”心の余裕”ではないですよ、「心の余地」です。
すごく大変な状況に置かれている時はそれどころではない、というのもあります。
生死の境だったり明日をまず生きていかねばらない状況など…
自分の心にほんの少しでいいからその隙間のようなものがあるかどうか…
 
というか、
「当たり前」という心があった場合には余計にそれは感じづらくなってしまいますよね。
 
 
失ったものは全て
当たり前に思って
それがあることの喜びを
感じずにいたもの
このまま感謝できない
僕らのままでいたなら
もっと多くを失う時が
来ることは確かだろう
 
 
この歌詞は、サビ部分で1コーラス2コーラス大サビで3回繰り返されます。
マキハラ先生の伝えたいことであり、
 
ここに至るまでの歌詞の中で、
直接的な表現でだいぶ鋭い印象を受ける曲ではあるんですが…
 
 
人間という生き物は、
結局「自分中心」に物事を考えてしまうものです。
いや、そりゃそうですよだって「自分は自分」なんですからね。
誰だって自分の物差しや基準というものがあって、
そこから逸脱してしまうと、途端に負の感情が生まれやすいのだと思います。
昨日まで都合よく思えていたことが、今日は180度変化してしまうとか…
それが何をキッカケに生じるのか、ということで、
 
たまたまこの曲では、
東日本大震災の際に起きた福島県の原発事故のことだった。
しかも、この曲が収録されているアルバムの発売は2011年7月です。
あの当時震災発生し、連日のようにこの事柄について報道されていました。
まぁ、報道の仕方とかにも問題はありそうですけどね…
 
TVに映し出されるもの全てが「正しい」とは限らないということ。
映し出されているものは「ほんの一部」にしか過ぎないこと。
 
それを見てどう感じ、どう行動するかは観ている人に委ねられているということ。
 
 
確かに、この曲の歌詞はマキハラ先生にしては非常にダイレクトな言葉を使っていると思います。
この歌詞通りに聴き手が感じ取っても無理はないのだと思います。
曲自体の真意が額面通りにしか伝わらないことなんて当の本人は分かっていそうですしね。
でもそんな中でも、
 
当時のマキハラ先生の想いと、
真に伝えたいこと、
そしてそれをこの1曲に込めて世に出した、という事実。
 
この一連の流れにグッとくるものがあるのは私だけではないはずです…
 
 
この曲自身は決して人々を強要しているものではないと思いますし。
先ほども書きましたが、この曲を聴いて何を感じるか、
どう思いどう受け取って自分自身の行動や生き方に影響するか。
 
 
物事の本質を捉えることって大切だとは思いますが、本当に難しいですよね。
読解力というものもすごく必要ですし、
その背景や環境などの要因、社会情勢などの知識も総動員して考えなければならないですし。
多方面から考えられる知識を持っているからこそ、できることだとも思いますし。
学校の勉強ができる/できない、という単純なことでもないですしね。
思考の広がりというか、
 
一つの出来事を色々な角度から見られる人が一定数いるかと思います。
 
ある〇〇という事象があって、
そうなった原因や経緯を「〇〇だからでしょ」と一つの結果に対して、
一つの原因しか考えられない人っておりますよね?
そのような人々が、その当時きっとこの曲を批判したりしていたのだと思いますし。
ただ、そういう意見はあって然るべきだと思いますし。
そのような風潮に対してもマキハラ先生は想定内だったかと思いますし。
 
決してこの曲は想いや思考の押しつけではなくて
問題提起のようなものだと思っております。
先ほどからも散々書いておりますが「この曲を聴いて何を想うか」が重要なのだと。
曲自体を攻撃してしまうのはまた違うとも思いますし、
私自身はマキハラ先生のこの曲自体の真意はなんだろう?なんて考えて、
色々と思うところはあるのですが、
ただ単純に「言葉が鋭い」ので苦手なのです…
この曲に対する概念のようなものは、すごく受け入れてはいるんですけどね。。。
 
 
そして、何よりメロディやアレンジ自体がもう歌詞を超越してしまうほど
 
 
カッコいい
 
 
もうこれは…
やっぱ天才だな、って聴くたび思ってしまうほど。
「たんぽぽ毛さん、不謹慎です」と言われてしまえば申し訳ありません、としか言えない●
でも事実です、この歌のメロディ、どちゃくそカッコよくないですかね???
 
 
 
歌詞ばかりが独り歩きしてしまうことの怖さもあります。
まぁでも、賛否両論あるって単純にスゴイことだと思うんですよね。
賛成派や否定派がいて、それで論争になってしまうんですよ…
まったく話題にも上がらなかったり、無いものとされることの方が切ないわ。
 
って…12年経った今は思えるけども、あの当時はちょっと切なかったなぁ、なんて。
 
 
人々の考え方や、それこそ生活自体が本当に変化しましたよね。
それほど重大な事故だったと思いますし、
自然災害の前に人は無力である、という思いはありますし。
12年経った今も尚苦しみ続けている人はきっといるんですよね…
 
マキハラ先生の神曲達は一言では決して語れないような曲ではありますが
この曲もそれに違わずそういう1曲なのだと思いますし。
曲を聴いた人が、何を想って感じてそして行動に移せるのか…
私自身も改めて考えることのキッカケとなる1曲ではありますので
 
やはりそういった意味でもこの曲も 神曲 なのだな…と思うのです。
Appreciation

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